ココナッツの香り

  風呂上がりにボディクリームを塗っていてると、ふいに泣きそうになる。ああ、そうだ。これはハワイのホテルでもらったものだ。ホテルの無駄に広いバスルームが思い浮かぶ。石鹸も何もかもココナッツの香りで気にいって、持って帰ってきた。

 膝にボディクリームを塗りながら、鼻水をすする。ああ、そうだ。この膝の傷は、去年、海ではしゃいだときに岩で切ったのだ。ココナッツの香りがふわりと立ち上り、海が目の前に広がってきた。

 去年の夏休みは一週間、ハワイ島コナに行って、海で遊び倒してきた。コナは本当に小さな町で、特にすることはない。毎日のんびりと街をぶらぶらして、食事はカフェでガーリックシュリンプやパンケーキを好きなだけ食べた。ピザをテイクアウトしたり、スーパーで寿司を買ってきて、炭水化物を気にせず食べる。

 町のどこを歩いても、海が近くて、町の人は親切でとても陽気だった。帰りは、日本の台風で帰れなくなり、屋根がないすけすけのオープンな空港で、くそ甘いけど美味しいシナモンロールと薄い緑茶で、飛行機が飛ぶのを待った。

 今年もあのハワイ島に行って、またコナの町でのんびりとしたい。そう思っていた。飛行機遅延のお詫びでクーポンをもらったのだ。ホテルまで予約していたけれど、私はたぶん夏になっても日本から出られない。

 ココナッツの香りが私をハワイに連れて行こうとしている。

 

書くことの責任

 文章を書く人間として、コロナで外に出掛けられなくなったり、仕事がなくなったり、お店がつぶれてしまったり、たぶん将来、歴史の教科書に載るような事態で何も書かないのは無責任だと思う。けれど、何を書けばいいかわからず、だらだらとここまで来てしまった。今日はもう4月24日で、緊急事態宣言が出されてから、もう何週間も経っている。

 その間、私は会社に行かなくてはいけないのに、土日はどこも出かけられず、やりきれない思いで生活していた。旅行や友達と会うことも好きだけれど、私は何より当てもなくふらふらと出かけることが好きだった。会社の帰りや休日、特に何も考えず出かけて、店を眺めて好きなものを食べて買って帰る。何も考えていない時間が大切だったのだと思う。

 でも、その楽しみを全て奪われて、仕事だけを淡々とこなす。毎日、電車やバスに乗らないといけないし、職場には密集した空間に200人近い人が詰め込まれている。テレビでは毎日、感染者が増える。ちょっと気が狂いそうだった。

 上司に懸命に働きかけて、今はやっと週数回の在宅勤務が認められた。職場も人数も減らしたので、今は前より安心して仕事ができる。それでも、電車に乗らないといけないし、人と接触することもあるから油断はできない。

 コロナで失職することはなさそうだし、ありがたいと思って仕事をするしかないと思う。給料が安いとか、昭和の体制だとか言いたいことはたくさんあるけれど、今はあまり文句を言っている場合ではない。以前のように淡々と仕事をこなすだけだ。

 空いた時間はもっと文章を書いて、混乱した世の中で私が感じていることを発信していく責任がある。

 

 

 

ぼくりり一周忌

ぼくのりりっくのぼうよみが自らを葬ってから、一年が経った。私はぼくりりが自分を葬る瞬間を目の前で見ていた一人だ。

 

私は、ぼくりりの曲が、言葉が、歌い方が大好きだった。途中から、何かつらいものを背負って歌っているように聴こえていた。私は心配しながらも、彼の世界にのめりこんでいった。そして、勝手に彼の曲を心の支えにしてしまっていた。こんなに惹かれたのは、初めての経験だった。

 

ぼくりりの葬式前夜祭も葬式も、私はただ座って呆然と曲に聴き入ることしかできなかった。きちんと聴いていたはずなのに、あの場にいたはずなのに、私はあの日のことをあまり覚えていない。それでもあのときの深い深い喪失感と胸の痛みだけは、忘れない。彼の葬式の後、セトリをあげたり、ライブの感想を詳細に書いている人もいた。でも、私はどうしてもできなかった。彼のことは、どうやっても文章に記せなかった。

 

そして、31日に彼のファンサイトが閉じたとき、私は泣いた。

 

今日だけは、彼のことを静かに思い出そうと思う。

客観視すること

客観視することが得意だった。特に自分のことにおいて。

学校を決めるときも、就職をするときもそうだった。これくらいのレベルなら、大丈夫だと、自分で自分をまるで後ろから視るように判断した。そして、人から過度に期待をされるのが怖かった。

だから、たまに衝動で動くことはあっても、自分で何とかできる範囲にとどめて、冒険は苦手だ。

学校を選ぶときは、レベルが計りやすかった。就職も自分の能力でできそうなところを探した。

でも、今、自分が決断しようとしていることはどうなのだろう。誰も客観的にレベルを視てくれないし、私も大丈夫だと思ったり、だめだと思ったりする。客観視できているのかどうか私にはわからない。私は自分の努力がどこまで持続するかも自分でわかっているけれど、これだけはわからない。それでも、こればっかりは相談をせずに自分で決めないといけないと思う。

 

私は部屋が片付けられない

やりたいことがあるのに、どうにも時間がない。時間がないことを言い訳にしたくないと思って、2019年を過ごしてきた。行きたいところには全部行って、参加したいイベントには全部出て、会いたい人には全員と会おう、そう思った。

でも、気がつけば、時間があるのに無為に過ごしてしまったり、無駄遣いをしてしまって、やりたいことをするお金がなかったりした。その無駄遣いのせいで部屋の中が散らかり、ぐちゃぐちゃの部屋の中で思考がとまり、やりたいことをやる気力がでないという矛盾にも苦しめられた。

休日に片づけをしようとして、あまりにも時間がかかることに愕然とした。好きな旅行に出掛ける度に、荷物を詰めるために時間がかかりすぎて嫌になってしまう。

全ては部屋が散らかっているせいだ。年末は絶対に片付けないといけないと決心して、家に籠って片づけをした。

床に積み上がっていた荷物が消え、机の上で勉強ができるようになった。

頑張った。やればできるじゃんと思った。

 

そして、2020年1月1日を迎えた。

11月にオンラインで買った福袋が5袋も届いて、また足の踏み場がなくなった。

 

今年はもう無駄に物を買わないと心に誓った。

 

 

ノンセクの看板を掲げて文フリに出るということ

 去年の夏頃のことだったと思う。私は、一つの物語を書き終えたところだった。

 私はまだモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、生きていた。ノンセクの私を受け入れてくれる彼とやっと出会えたのに、私はその彼と連絡が取れなくなっていた。彼は私のことなんて、もうどうでもいいんだろう。私も新しい人生を歩まないといけない。頭では充分理解していた。好きな人と身体の関係を持てないなんて、欠陥人間でしかない。けれど、彼はそれでもいいと言ってくれた。もう、その彼はここにいない。

 気が狂いそうだった私は、彼への思いをひたすら書いた。その原稿を前に私はかたまっていた。書き終われば昇華できると思っていたけれど、私はまだモヤモヤしていた。書いただけでは、まだ足らないのかもしれない。

 私がノンセクであることを隠して、ゼミでジェンダーを学んでいた大学生の頃、ノンセクの本を見つけたら、私はどんなに救われただろうか。就職活動をしながら、自分の将来を描けず、自分には欠陥があるのだと絶望した。友達の彼氏の話を聞きながら、心はいつも泣いていた。

 「ノンセクの私が考えていることを綴ります」気が付くと、私は文フリに応募して、サークルの紹介を書いていた。

 顔を出しても構わない。隠す必要なんてない。世間にノンセクだって公言してもいい。ただ、誰かに届けたかった。私の叫びを読んでほしかった。

 私もまだ悩んでいるけれど、私が書いたものが大学生の私にいつか届くかもしれない。そんな気がした。

ノンセクを意識する前の恋愛

 

 私はノンセクなのにどうしようもないくらい惚れやすい。

 中学のとき、大好きな人がいた。3年間ずっと好きで、中学卒業間近に付き合い始めた。この頃は良かった。お店に入るお金がなくても、ただ二人で土手を散歩しているだけで良かった。当時は、性的なことは一切考えないで付き合うことができた。

 当時はノンセクなんて言葉も知らなかったし、性的行為が苦手なこともあまり意識していなかった。

 ただ一緒にいるだけで幸せだった。手を繋いでいればそれだけで幸せだった。

 高校が離れてしまったり、すれ違いがあって結局別れてしまったけれど、ノンセクを意識しなくていい幸せな恋愛ができた最初で最後だった。

 彼のことは大学生になってもずっとずっと引きずっていた。

 このときの恋愛以降はずっとノンセクであることを意識せざるをえなかった。

 大人に近づくと、恋愛にどうしても「性的行為」が絡んできてしまう。

そのことを意識する前にお付き合いすることができたのは、私にとって深い意味があった。ただただ純粋な恋愛だった。