ノンセクの看板を掲げて文フリに出るということ

 去年の夏頃のことだったと思う。私は、一つの物語を書き終えたところだった。

 私はまだモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、生きていた。ノンセクの私を受け入れてくれる彼とやっと出会えたのに、私はその彼と連絡が取れなくなっていた。彼は私のことなんて、もうどうでもいいんだろう。私も新しい人生を歩まないといけない。頭では充分理解していた。好きな人と身体の関係を持てないなんて、欠陥人間でしかない。けれど、彼はそれでもいいと言ってくれた。もう、その彼はここにいない。

 気が狂いそうだった私は、彼への思いをひたすら書いた。その原稿を前に私はかたまっていた。書き終われば昇華できると思っていたけれど、私はまだモヤモヤしていた。書いただけでは、まだ足らないのかもしれない。

 私がノンセクであることを隠して、ゼミでジェンダーを学んでいた大学生の頃、ノンセクの本を見つけたら、私はどんなに救われただろうか。就職活動をしながら、自分の将来を描けず、自分には欠陥があるのだと絶望した。友達の彼氏の話を聞きながら、心はいつも泣いていた。

 「ノンセクの私が考えていることを綴ります」気が付くと、私は文フリに応募して、サークルの紹介を書いていた。

 顔を出しても構わない。隠す必要なんてない。世間にノンセクだって公言してもいい。ただ、誰かに届けたかった。私の叫びを読んでほしかった。

 私もまだ悩んでいるけれど、私が書いたものが大学生の私にいつか届くかもしれない。そんな気がした。

ノンセクを意識する前の恋愛

 

 私はノンセクなのにどうしようもないくらい惚れやすい。

 中学のとき、大好きな人がいた。3年間ずっと好きで、中学卒業間近に付き合い始めた。この頃は良かった。お店に入るお金がなくても、ただ二人で土手を散歩しているだけで良かった。当時は、性的なことは一切考えないで付き合うことができた。

 当時はノンセクなんて言葉も知らなかったし、性的行為が苦手なこともあまり意識していなかった。

 ただ一緒にいるだけで幸せだった。手を繋いでいればそれだけで幸せだった。

 高校が離れてしまったり、すれ違いがあって結局別れてしまったけれど、ノンセクを意識しなくていい幸せな恋愛ができた最初で最後だった。

 彼のことは大学生になってもずっとずっと引きずっていた。

 このときの恋愛以降はずっとノンセクであることを意識せざるをえなかった。

 大人に近づくと、恋愛にどうしても「性的行為」が絡んできてしまう。

そのことを意識する前にお付き合いすることができたのは、私にとって深い意味があった。ただただ純粋な恋愛だった。

Aセクシャルという言葉を知った日

 高校生の私は、ある本を手に取って震えていた。

興味のある分野を探そうと、進路指導室にある本を漁っていた私が手にしたのは、「ジェンダーがわかる。」(アエラムック)という本だった。

 そこに書かれていたのは、「Aセクシャル」性的欲求を他人に求めない人たちがいるということだった。中には、「恋愛感情がある」タイプの「Aセクシャル」もいて、自分はこれに当てはまることがわかってうれしかった。

 今までモヤモヤしていた自分を定義する言葉が初めて見つかった瞬間だった。

 私はネットで初めて知った言葉を検索しながら、いつか同じように人に会ってみたいという気持ちを募らせていった。

 

 思えば、中学生のときなぜか流行っていた過激な少女小説ー10代の女の子が初めての彼氏との間で子どもを妊娠。高校をやめて母親になり幸せになるという話ー を回し読みさせられても、嫌悪感しかなかった。

 自分が彼氏と性的行為を行うことが全く想像できずにいたし、自分からは遠い出来事にしか思えなかった。

 もっと遡れば、子どもの頃から男女の役割にも疑問を持っていたし、女扱いされることに強い拒否反応を覚えていた。

 

 大学に入ってもっと勉強してみたい。そうしたら自分ですら持て余す自分のことがわかるかもしれない。大学でジェンダーを勉強したい。そう思った私は、社会学部を受験した。

 

(noteの編集、2016.1.14)

ノンセクシャルって?

 ノンセクシャルという言葉をあまり聞いたことがないかもしれない。

LGBTの人が多く集まる場ですら、「ノンセクです」というと、珍獣扱いだ。「初めて見ました!」と興奮気味に握手を求められたことさえある。

 ノンセクシャルとは、恋愛感情を抱いても、相手に性的欲求をもたないことをいう。

ノンセクの中には、性欲がある人もない人もいる。共通するのは、相手に性的欲求をもたないこと。ノンセクだからといって全く同じではない。

 私はたまたま性欲が全くないけれど、ノンセクの人みんなが性欲がないわけではない。

 ノンセクだって珍獣ではない。言えないか、本人も気がついていないだけで、悩んでいる人もいるだろう。

 

 知って欲しい。ただそれだけだ。

 

(2016.1.13 noteからの転載)

全てが過去に流れて行った日のこと

 彼氏と連絡が取れなくなって、はや一年半。もう忘れよう。新しい出会いを探さないと私が腐ってしまう。

 そんなとき、私は気まぐれにLINEで彼の携帯番号を検索してみた。ふと見ると、彼のドヤ顔アイコンが出てきた。うつ病でなったはずなのに、なんていうか力いっぱいものすっごく元気そうだ。私の知っている彼は自分の顔をアイコンにするような人ではなかった。それを見ていたら、もう私が彼のことを思う必要もないし、全てが終わったんだなあと思った。そう思ったら、とてもバカバカしくなった。

 私が彼のことを思っていても仕方がない。もう全てが終わったんだ。私は彼に最後のメッセージを送った。「元気そうで良かったよ。今までありがとうね」

 不思議と彼に対する悲しみや怒りは沸きあがって来なかった。

世界が終わってしまった日のこと

 去年の二月、一年くらい付き合っていた彼氏と連絡が突然取れなくなった。精神的に病んでいるような素振りを見せていたけれど、まさか連絡が取れなくなるなんて思ってもみなかった。

 ノンセクのことをカミングアウトしても離れていかなかった稀有な人で、私は彼のことを信頼していた。旅行に行ったときだって、彼は私のことを抱きしめただけで、何もしなかった。ただただ、一緒にいられればそれでいい。一緒にきれいな景色が見られればそれでいい。ずっと一緒にいて欲しい。彼はそう言って笑っていた。

 旅行に出かけたのも、結婚の約束をしたのも初めてだったし、彼は私の全てだった。

彼から、「離れてほしい」とLINEが来たのを最後に音信不通になってしまった。

 嗚咽しながら眠った次の日、私は世界に一人で放り出されたのと同じ気持ちだった。思えば、ノンセクだと自覚するよりずっと前から、私は世界の異分子だと思っていた。口を開けばおかしい、変わっていると言われ、周りに馴染めず浮き上がっているような気持ちをずっと抱えていた。彼だけは、「おもしろい」と言って穏やかに笑ってくれた。

 そんな彼がいなくなった。それから私は、彼のいない世界で抜け殻のように生きていた。

 パートナーが欲しい。私を受け入れてくれる存在が欲しい。思えば、中学生くらいからずっと渇望していたものを与えてくれた彼はもういない。彼がいなくなってから、幸せそうにしている友達に会うことすら苦痛でしかなかった。

 一年以上が経って、彼がいない世界で生きていく現実をようやく受け止められるようになってきた。

 けれど、今も渇望はとまらない。

 

PCPD診断を受けてみて

Twitterで大人気の原山先生(@55555ya

のイメージコンサルティングを受けに行ってきた。詳細なレポートは他の方も書いているので、私が感じたことを中心に書きたいと思う。

ファッションに悩んでいて何を着たら良いか悩んでいる人は是非、診断を受けてみてほしい。ファッションが好きすぎる人より、そうじゃない人の方こそ受けると人生変わるはずだ。

 

パーソナルコンサルティングとは、ものすごく簡単に言うとその人に何が似合うか客観的にみて教えてくれているというもの。

 

私の場合、パーソナルカラーは「夏」 パーソナルタイプは「フェミニン」(グレース要素あり)だった。説明は細かく書かないので、興味ある人は調べてみてほしい。乱暴に説明すると、淡い色合いで、女性らしい(この表現も嫌いだけれど仕方ない)上品で柔らかい素材が似合う。素材はレースとかシフォンとか。

 

元々こういう格好が好きだったのもあって、私は診断結果がうれしかった。今までもこういう女性らしい格好をしていたこともあったけれど、どこかで地味な顔立ちの私には似合わないんじゃないかと頭のどこかでいつも思っていた。それに、私がノンセクということもあって、たぶん頭のどこかで女性らしさを忌避していて、居心地が悪いような気持ちになっていた。

 

頭の中身もどちらかというと男っぽい(この表現も嫌いだけれど・・・)のに、例えば美人百花みたいな恰好をしていいのかという葛藤があった。見た目と中身がずれていると思って、違和感がずっと生じていた。

 

だから、あえてカジュアルな服を選んだり、ユニセックスなものを取り入れたりしたこともあった。そういった格好は私には似合わないので、イモっぽさが露呈されていたのだ。

それがお墨付きをもらったことで、霧が晴れたような感じがした。これからは、私の好きな格好をしていきたいと思う。

 

見た目と中身の違いなんてどうでもいいじゃないか。